小さなお子様をお持ちの親御さんなら、「IQ」と聞いただけで「ピピピッ!」と反応してしまう方も多いようです。ちまたでは「ウチの子、IQ=150の天才よ!」とか、「アソコの幼稚園はIQ=130以上じゃないと入れないンですって!」とか、IQにまつわる話題には事欠きません。果ては、やれ「ニュートンは120でモーツァルトは150、ゲーテは180だ」、なんてことがまことしやかに囁かれたりしています。(どうやって計ったんでしょうね?)

しかし、そもそも人間の複雑で多様な能力をたったひとつの数値で表わし、優劣をつけること自体に相当な無理があるのは明白なのに、わが国ではまだまだ「IQ神話」が幅を利かせているのには驚かされます。

いわゆる「知能テスト」が開発されたのは、もう100年以上前のことですが、当初の目的は知能障害児の選別であって、「一般知能の尺度にはなり得ない」と開発者のビネー自身が明言しています。ところがビネーの没後、彼が恐れたとおりに知能テストがひとり歩きを始めて、独のシュテルンによっていよいよ「知能指数(IQ)」という概念まで登場してしまいました。

IQ神話花盛りの20世紀初頭、アメリカで興味深い調査が行われました。IQ=140以上の「天才児」1528人が成人する過程を追跡調査するというものです。この結果、高IQ者は一般平均より教育水準も高めで、収入もやや多く、また30人が紳士録に載る程の業績を上げたことがわかりました。一般に紳士録に載る割合は4000人に一人ですから、1528分の30とは相当な数字です。しかし同時に、高IQだったにもかかわらず、人生の落伍者になってしまったケースも少なからずありました。

注目すべきは、この「天才児?」1528人の中で、ノーベル賞に値する程の傑出した成果を上げた人はただのひとりもおらず、また音楽や芸術等のクリエイティブな分野で才能を示した人が極めて少なかったことです。この結果から明らかになったのは、皮肉にも高IQすなわち「天才でない、クリエイティブでない」ことなのでした。

IQ(知能指数)の定義は(知能年令÷実年齢×100)です。つまり4才にして6才並の課題をこなせる子は(6÷4×100)すなわち「IQ=150」となる訳です。それではIQ=200の人が50才になると、知能年令は100才・・・あれ?何だか変な話ですね?

IQというのは単なる「早熟度の目安」に過ぎず、人生の成功を保証するものにはなり得ません。日本の学校システムでは早熟(高IQ)の方がトクをするのは否定できませんが、一方で古くから「大器晩成」という言葉もあります。長い人生を有意義に生きるためには、”IQ”よりもっと大切な「ちから」がたくさんあることを、見失わないようにしたいものです。(月刊BigSmile 04/9-10月号掲載記事)